まあちゅ

みたものをみたままに

梅雨入り

関東も梅雨入りをして、あと一月もすれば夏本番がやってきますね。東京(特に僕が住んでいる多摩地区)は、夏になっても比較的涼しいです。比較的といっても、僕が生まれ育った大阪と比較してということだけれども。そもそも大阪の夏が殺人的に暑いのである。朝からクマゼミが鳴き散らし、街全体を覆ったアスファルトが昼夜を問わず熱を放出する、それが大阪の夏である。夏の風情を感じる余裕もなくしてしまうのである。なので、大阪に住んでいるときは夏は苦手だったのだけれど、四年前、多摩地区に移り住んでからは、僕の季節観は大きく変わってしまった。多摩地区の夏はとにかく過ごしやすいのである。程よく汗ばむような健康的な気温、カラッとした空気、夕暮れ時のひぐらしの鳴き声、どれも心地よく、僕はすっかり夏が好きになってしまった。逆に、関東の冬はとても厳しく、それも相まってか、さらに夏が好きになるのである。日本の夏には、明るさや楽しさはもちろん、それと対照的な儚さや静けさがある。つい先日、段々と暑くなってきた日差しを感じながら、郵便局に向かっている途中、つんと鼻に差す、青臭い夏草のにおいがしてきた。信号待ちに、ふと、右手に目をやると、作業員が線路沿いの土手の青草を刈っている。久しぶりに嗅いだ夏草のにおいはとても心地好く、僕は何度も深呼吸をした。信号が青に変わり、すぐ行くと、小学校がある。運動場では、半袖を着た小学生達が元気に、先生の言うことに返事をしている。活気づいた小学生達と青草が対照的に浮かび上がって、梅雨入りを前にして刈られてゆく青草に、僕は同情した。この儚さに夏があるんだなと、適当なことを思ったりもした。それから幾日か経って、天気予報で梅雨入りが宣言され、曇りがちな天気が続いたある日、さやか(同棲している彼女)と僕は、珍しく休みが合って、午後から近所の魚市場に行くことになった。魚市場に向かっていると、夏野菜がなり始めた畑や涼しげな田んぼや水路が気になってついつい道を逸れてしまう。そんな調子でふらふらしていると、前に花屋が見えてきた。夏の花が色とりどりに咲いていて、足を止めずにはいられなかった。さやかと、これが良い、あれが良いなどと見て回った。最終的には何も買わなかったけれども。花屋を出るとすぐ近くに高幡不動尊がある。さやかが、今そこであじさい祭りがやっていて綺麗だと言うので行くことにした。高幡不動尊に着いて奥に進むと、確かにあじさいが綺麗に咲いている。あじさい鑑賞道なるものがあり、山あいの傾斜に小道が続き、その両端には様々な種類のあじさいが見頃を迎えていた。その中でも、特に印象的だったのが山あじさいである。山あじさいは、普段目にするあじさいの原種で、高幡不動尊にも多く自生しているらしい。その花は小さく、品種改良されたあじさいのような派手さはないが、凛として美しかった。あじさいは曇りがちな梅雨の日々を彩り、肯定してくれるようだ。山あじさいの静かな佇まいに夏を感じとり、高幡不動尊を後にした。

長々と書いてしまったので、今回はここで終わりにしよう。最後に山あじさいの絵を添えて、24歳にして初めての日記の一ページとさせていただく。

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